満ち足りた虚無—現代の逆説
物があふれているのに、心は空っぽだ
—この奇妙な矛盾を感じたことはありませんか?
今の日本では、
戦後最長の平和と物質的豊かさを手に入れました。
しかし、その代償として多くの若者が
「何のために生きているのか分からない」
という
漠然とした虚無感に囚われています。
意識調査によれば、
アメリカの若者が「成功してお金持ちになりたい」
と野心を燃やす一方で、
日本の若者は「まったり平和に暮らしたい」
と願う傾向があります。
私自身も「まったり暮らしたい」と思っています。
このように安定と安心を求めることは
ニーチェによると結局
無(ニヒリズム)を求めているだけではないか、
と言います。
ニーチェはこうした“安定と平和に執着するだけの人間”を、
末人(まつじん)と呼びました。
この記事では、
虚無感から解放され、
人生を肯定できるのかを
扱っていきます。
少し長いですが、きっとあなたの考えが
変わるきっかけになると信じてます。
目次
- “神は死んだ”—けれど、誰もその葬式を出さない
- 末人—快楽に溺れる「最後の人間」
- 力への意志—あなたの内なる炎
- ルサンチマン—苦しみを力に変える錬金術
- 永遠回帰—人生の焼き付け
- まとめ:人生を肯定するためには
“神は死んだ”—けれど、誰もその葬式を出さない
神は死んだ!神は死んだままだ!そして神を殺したのは我々だ!
—『悦ばしき知識』125節
ニーチェのこの叫びは、
単なる無神論の宣言ではありません。
それは、西洋文明を何世紀も支えてきた最高価値—
神、絶対的真理、普遍的道徳
—が崩壊したという恐るべき診断です。
かつて人間は、
どんな不条理な苦しみにも「神の試練」
という意味を見出すことができました。
夢に向かって頑張っていたのに、
不運な病気で倒れてしまう。
そんな理不尽に直面したとき、
「神が与えた試練だ」と信じられた時代もありました。
しかし現代では、その支えは崩れ落ちています。
あなたも感じたことはありませんか?
不幸ではないけど、なんか満ち足りないな
なんとなく虚無感があるような気がする。
これは私たちには絶対的に信じられるもの、
最高価値がないからです。
そして、絶対的に信じられるものを持たないこの時代を
ニヒリズムとニーチェは言いました。
そしてこのニヒリズムが生み出すのは
末人です。
まさに私たちは末人なのではないでしょうか?
末人—快楽に溺れる「最後の人間」
見よ!私は最後の人間たちを示そう。
『幸福とは何か?』と最後の人間は瞬きしながら問う
—『ツァラトゥストラはこう語った』序説3
ニヒリズムの時代に現れるのが、
ニーチェが「末人(まつじん)」と呼んだ存在です。
末人とは:
- リスクを恐れ、「快適さ」だけを追求する
- 自分と異なる者を嘲笑し、均質化を好む
- 小さな快楽で満足し、高みへの意志を失う
SNSで「いいね」を集めることに執着し、
批判を恐れて本音を言わない。
他人と違うことを恐れ、
「みんなと同じ」であることに安心を覚える。
今夜何を食べるか、週末どこに行くかという
小さな選択だけに熱中する—。
このような姿が、現代の末人ではないでしょうか?
私たちは、末人であるから
不幸ではないけど足りないと感じてしまうのではないでしょうか。
ニーチェは末人を人間の堕落と見なしました。
ではニーチェはどう生きるべきと言っているのか。
ニーチェ曰く、
生きるとは本来、安全や快適さへの執着ではなく、
自らを超え出る創造の営みを求めるべきである
と言います。
そんな目指すべき創造を求めることを
ニーチェは力の意志と呼びました。
力への意志—あなたの内なる炎
生きているものすべてが権力を求めることを、
私が見出したところ、
そして奴隷の道徳のうちにすら権力への意志を見出した。
—『ツァラトゥストラはこう語った』
ニーチェが示した
「力への意志(Will to Power)」
とは何でしょうか?
それは単なる他者支配の欲望ではありません。
むしろ、自己を超え出て成長し、創造する衝動です。
例えば、一流のアスリートは苦痛を超えて自己を鍛え上げます。
芸術家は既存の様式を破壊して新たな表現を生み出します。
科学者は定説を疑い、未知の領域に足を踏み入れます。
彼らに共通するのは、「安定」や「快適さ」を捨て、
自らの限界を突破しようとする意志です。
そこには創造の炎があります。
あなたの内側にも、
まだ燃え尽きていない炎があるはずです。
その炎を消さずに燃料を注ぎ足していけばいいのです。
心を燃やせ!という現代でいうところの
まるでアニメ『鬼滅の刃』の煉獄さんのように、
心を燃やし続ける強さが求められます。
ただ、
これはかなり前向きな意見です。
落ち込んでいるときには到底、
力の意志なんてもてないですよね。
そんなマイナスな感情もニーチェは
教えてくれました。
ルサンチマンです。
ルサンチマン—苦しみを力に変える錬金術
ニーチェ自身、極度の近視、
激しい頭痛、孤独という地獄のような苦しみを抱えていました。
そんな中、執筆したのが、
今回取り扱ってきた、ツァラトゥストラです。
おそらく彼はその苦しみの中から、ルサンチマンという
感情を見つけたのでしょう。
そして、それを創造の源泉に変えたのです。
ニーチェが「ルサンチマン」と名付けた感情というのは、
フランス語で繰り返す感情という意味です。
それは自分の無力さや弱さを認められず、
他者や社会を恨むという感情を心の中で繰り返し
続けるというものです。
現代で言えば、SNSでの誹謗中傷、社会への憎悪、
あるいは「自分だけ不幸だ」という被害者意識かもしれません。
このルサンチマンを乗り越える方法をニーチェは
3つの段階として教えてくれました。
1まず自分が無力感があると気づく
ルサンチマンの根底にあるのは自分が無力であるという事です。
他人を恨むのではなく、
自分がどうしようもないできない不条理にいる
とまずは気づく。
2ルサンチマンを抱えたままではダメと認める
自分が無力であると気づいたら、このままでは
だめだと認める事です。
認めた後にすることが次の3ステップ目です。
3.何を私は欲するか何を出来るか問う
私はこれを、主人公であろうとすると表現します。
自分の人生なんだから、
人生の主人公であろうという覚悟を持つのです。
自分が本当に欲しいものは何なのか、
自分が主人公として生きるのです。
それでも、受け入れがたく、
抜け出せないルサンチマンはあるでしょう。
そんな時はニーチェは、
叫べ、とことん恨め!
というのです。
とことん叫ぶことですっきりすることってありますよね。
受け入れられないなら、全力で突っぱねる、
これでもいいのです。
受け入れるにしろ、受け入れないにしろ、
ルサンチマンを原動力とするのです。
恨みや怒り、
ルサンチマンを抱えたまま生きることは、
確かに苦しい。
でも、それを原動力としたとき、
人は初めて前を向く。
そして問う、その人生を
あなたはもう一度、
そっくり繰り返したいと思えるだろうか?
(永遠回帰)
永遠回帰—人生の焼き付け
ニーチェの思想の頂点が「永遠回帰」です。
想像してみてください。
いま、悪魔があなたの前に現れ、こう告げるとします:
この生、そしてすでに生きた通りのこの生を、
もう一度、そして数え切れないほど
何度も繰り返して生きなければならない。
何ひとつ新しいものはない。
人生を丸ごと愛する覚悟があるかという事です。
あなたの人生のすべて—喜びも、
苦しみも、退屈な時間も、
失敗も成功も—
そっくりそのまま永遠に繰り返されるとしたら、
これを喜んで受け入れられるか?
ニーチェはこういいました。
もしただ一回でも本当に生きてよかった
と思えることがあったならば、
きみは人生の全体を肯定し祝福し、
マイナスなことも引き連れて
この人生よ、何度でも戻ってこい
と言えるだろう。
本当に生きててよかったと思える瞬間が、
一度でもあれば
その人生全部が肯定されるべきと言っているのです。
ではどうすれば肯定できるのか。
それが最後の章です。
人生を肯定するためには
人生を肯定するためには、
ニーチェは
マイナスの是認だけで足りず、
それを欲することが生の肯定のためには必要と
言います。
簡単に言うと、
マイナスよ来い!
障害があってよかった!
と思えるようになれ
という事です。
ただ、人間は「今」だけでなく、
「過去」や「未来」を考えてしまう生き物です。
人間と遺伝子が近いチンパンジーでは違います。
今が楽しければ笑い、苦しければ声をあげる。
それだけです。
面白い話があります。
ある動物園で、
頸椎損傷によって動けなくなったチンパンジーがいました。
人間が世話をすると、
彼は喜び、時には人間をからかって笑ったそうです。
チンパンジーは、その時が楽しければ喜べるのです。
「今、目の前のこと」だけを感じて生きていれば、
喜びは簡単なのかもしれません。
でも人間は違う。
未来の不安、過去の後悔にとらわれ、
生を肯定しにくい。
だからこそニーチェは言います。
人生を本当に肯定したいなら、「マイナスを欲せ」と。
私自身、高校受験も失敗しましたし、
大学受験でも第一志望に落ちた経験があります。
当時はもちろん落ち込みました。
高校受験を失敗していたから、大学受験はかなり
気合を入れていたのですが、
それでも合格には届きませんでした。
落ちたときは、気分も落ち込み、
浪人しようかとも思いましたが、
とりあえず受かっていた第2志望の大学に進みました。
今は落ちたことも含めて、
良かったなと心の底から思えます。
だって挫折があったからこそ、
今の心理学や哲学に出会えました。
あの失敗がなければ、今の私はいなかった。
もちろん、今も失敗は怖いです。
でも、たとえ遠回りになっても、
最後には「よかった」と思える自信があります。
私は、マイナスは成功への布石だと、
本気で信じています。
まとめ:あなた自身が価値になれ
君自身が価値評価者となれ、
価値を秤にかける者となれ。
ニーチェの思想は簡単なハウツーではなく、
むしろ痛みを伴う挑戦です。
それは
「他人の価値観を借りるな。
自分自身が価値の創造者となれ」
という呼びかけです。
この記事を読み終えたあなたに問います:
永遠回帰を望めますか?
マイナスを欲せますか?
あなた自身が創造する価値は何ですか?
この人生よ、もう一度来い
—そう胸を張って言える日のために。
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今回の記事は、この本を基に作っていきました。
ぜひご一読ください。
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