悩みが多い現代こそ読みたい 【どうにもならないことに悩むあなたへ】:エピクテトスの教え

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自由とは、
自分の望むように物事が進むことではなく、
物事がどう進もうとも、
それを受け入れる心構えである

「どうして私たちは、どうにもならないことで悩み続けるのだろう?」

他人の目、過去の失敗、未来の不安——
本当は手放せるのに、しがみついて苦しんでいる。
そんな私たちに、2000年前の“奴隷哲学者”が、今、鋭く語りかけてきます。

あなたの不幸は、あなたの外にあるのではない。
それはあなたの内側、物事の見方の中にある

この言葉を残したのは、奴隷から哲学者となったエピクテトス。
2000年前、彼が発見した人生の真理は、あなたが今抱えている悩みにも、
驚くほど効く処方箋です。

エピクテトス肖像画
エピクテトス
西暦50年-135年
  • 奴隷であり、なおかつ足が不自由
  • ストア派哲学者
  • 「哲人皇帝」マルクスアウレリウスの尊敬する人物

お金持ちだったり、自由そうな人の言葉では重みがない。
でも、この哲学者エピクテトスは違った。

1.エピクテトスとは誰か?

セクション1

鎖につながれているのは私の足だ。だが私の心まではつなげまい。

エピクテトスは紀元50年頃、現在のトルコにあたる地で生まれました。
「エピクテトス」という名前自体が「取得された者」の意—
つまり「奴隷」を意味します。

彼は自分の本当の名前すら知らないまま人生を歩んだのです。
足が不自由で、親も奴隷だったため、彼自身もローマ帝国の支配下で奴隷として育ちました。
最も身近な「自由」さえ奪われた環境で、
彼は「真の自由とは何か」を徹底的に探求しました。

足に鎖を付けていても、心までは縛られない。
私たちは足に鎖なんて付いていない。なのに、何かに縛られていると感じる。
なぜ、エピクテトスは自分を自由と思えたのか?

2.奴隷と皇帝アウレリウスが共鳴した「内なる自由」の思想

セクション
エピクテトスは、奴隷という最も不自由な立場から「真の自由」を探求しました。
彼にとって自由とは、外的な制約がないことではなく、
内面の平静さを保つ能力でした。

自由人とは、すべてが自分の意志と判断によって起こるように生きる者である

彼は逆説的な真実を発見しました。
—地位も財産もない人が「自由」である可能性もあれば、
皇帝でさえも「不自由」である可能性もあるのです。

なぜなら、真の自由は権力や富ではなく、内面の状態にかかっているからです。
興味深いことに、エピクテトスの思想に深く共感したのが、
後の最高権力者であるローマ皇帝マルクス・アウレリウスでした。

帝国を支配した皇帝と、
奴隷から始まった哲学者—社会的立場は正反対でありながら、
二人は同じ思想に人生の真理を見出したのです。

アウレリウスの著作『自省録』には、
エピクテトスの教えへの言及が随所にあります。
彼は「哲学者として生きたかったが、皇帝として生きた」人物と言われます。

まさにエピクテトスの「内なる自由」を実践しようとした統治者でした。
この対照的な二人の存在は、エピクテトスの哲学が持つ普遍性を証明しています。

あなたの社会的立場や経済状況に関わらず、
「内なる自由」は誰もが目指せる境地なのです。

ではどうやって内なる自由を目指すのか、
それがエピクテトスが見つけた次の人生の方程式です。

3.エピクテトスが見つけた人生の方程式
—「コントロールできること」と「できないこと」

セクション

エピクテトスの教えの核心は、シンプルながら革命的な区別にあります。

事物の中には、私たちの力の及ぶものと、及ばないものがある。
私たちの力の及ぶのは、判断、欲求、嫌悪、そして一言でいえば私たち自身の行為のすべてである。
私たちの力の及ばないのは、身体、財産、評判、地位、要するに私たち自身の行為でない
すべてのものである。

この一見単純な区別が、
あなたの人生の見方を変える可能性を秘めています。

コントロールできること、できないこと

「でも、他人の評価をコントロールしないと、生きていけないのでは?」
「将来の安全のために、お金は必要では?」

こう反論したくなるのは自然なことです。
しかしエピクテトスは私たちの目を、ある真実に向けさせます
私たちが本当にコントロールできるのは「出来事そのもの」ではなく
「出来事への反応」なのだと。

私はたまにTikTokで批判を受けます。
「こんな質問を考えるやつの気が知れない。中二病みたい」と。
言われた事実はコントロールできませんが、
それをどう受け取るかは私次第なのです。

実際、その言葉を言われたときは、人と違うということは誇らしいな、と思いました。

4.現代社会の苦しみは「手放せないもの」への執着?

セクション
現代社会では、「コントロールできないこと」へのこだわりが、
かつてないほど強まっています

• SNSで友人の華やかな投稿を見て、自分の人生と比較していませんか?
• 明日の会議の結果を心配して、今日の睡眠を犠牲にしていませんか?
• 過去の失敗を何度も思い返し、自分を責め続けていませんか?

エピクテトスはこう言いました:

人を悩ませるのは物事そのものではなく、
物事についての見方である

雨が降ること自体は単なる事実です。
「せっかくの休日なのに最悪だ」と感じるか、
「乾いた大地が潤う、恵みの雨だ」と感じるかは、

あなたの解釈が決めるのです。

雨の例

あなたの人生で最近起きた出来事を一つ思い浮かべてみてください。
それについて、あなたはどんな「見方」をしていますか?
その見方は、あなたを幸せにしていますか、それとも苦しめていますか?

5.「運命を味方につける」エピクテトスの教え

section5
エピクテトスの哲学では、「運命への態度」が重要なテーマとなっています。
彼は運命を「必然性」として捉え、それと調和する生き方を説きました。

自分を導きたい者は、運命が自分を導くままにせよ

これは、「何も努力せず、ただ運に身を任せなさい」という投げやりな態度ではありません。

むしろ、「自分の力が及ぶ範囲」で最善を尽くしながら、
「及ばない範囲」についてはありのままを受け入れるという智慧です。

エピクテトスは人生を舞台劇に例えました:

人生は舞台劇のようなものだ。役を与えられたら、それがどんな役であれ—短い役でも長い役でも—最善を尽くして演じなさい。

あなたも「理不尽な役」を与えられたと感じることはありませんか?
病気になったり、大切な人を失ったり、予期せぬ挫折を味わったり。
エピクテトスによれば、重要なのはその役をどう演じるかです。

与えられた役について

病気になったとき、「なぜ私が」と嘆くのではなく、
「この状況で何ができるか」を考える。
失恋したとき、「あの人が悪い」と責めるのではなく、「次の関係でどう成長できるか」を考える。
エピクテトスの視点は、コントロールできない物事への「欲望」や「嫌悪」を手放し、
内面の自由を得る道を示しています。

6.内なる自由を手に入れる—嵐の中の岩となる

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エピクテトスの哲学は、単なる「諦め」や「無感情」ではありません。
彼が目指したのは、混沌とした世界の中で揺るがない心の強さ、そして内なる自由です。

混乱した波間の岩のようであれ。波はその周りで絶え間なく砕け散るが、
岩はじっと立ち、周りの水は静まる

この言葉は、現代社会を生きる私たちにこそ響きませんか?
SNSの評価に一喜一憂したり、先の見えない未来に不安を感じ、
他者の視線に神経をすり減らす日々。

そんな中で、「コントロールできるものとできないものの区別」という智慧は、
まさに心の嵐の中の灯台のような存在です。

エピクテトスは、「自分自身の内に自由を見出す」という人類普遍の叡智を、
自らの苦難の中から見出しました。

奴隷という最も不自由な立場から生まれた彼の言葉だからこそ、
どんな境遇にある人の心にも響く。

自由とは、自分の望むように物事が進むことではなく、
物事がどう進もうとも、それを受け入れる心構えである

今、あなたの目の前にある悩みを思い浮かべてください。その中に、
「コントロールできること」と「できないこと」を分けてみましょう。
コントロールできることに集中し、できないことは手放す。
—この単純だが深遠な実践が、あなたの内なる平和への第一歩になるはずです。

エピクテトスの言葉は、2000年の時を超えて、あなたの心に語りかけています:
「あなたの幸せは、あなたの考え方にある」
今日から、あなたもエピクテトスの教えを実践してみませんか?

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