「私たちは、幸福でなければならないのだろうか?」
そんな逆説的な問いを、100年前の一教師が投げかけた
毎朝、新聞の片隅に小さなエッセイを書き続け、読者にそっと語りかけており、
派手な理論や難解な専門用語を好まず、
むしろ日常の中に「哲学」を見出した人でした。
そんな彼が言った、意外な言葉があります。
幸福が義務?それはどういう意味なのか。アランの言葉は、
今を生きる私たちにも響く、あたたかくも深い哲学です。
本記事では、彼の人生と思想をたどりながら、
『幸福論』に込められたメッセージをやさしくひもといていきます。
この記事で分かること
1.アランという人物
アランは、1868年にフランスで生まれた哲学者です。
とはいえ、私たちが想像する「学者」とは少し違います。
彼は華やかな大学ではなく、地方の高校で教鞭をとっていました。
教室では、政治や倫理、日常の問題まで、あらゆることを話題にし、
生徒たちに考える楽しさを伝えたといいます。
──その思いは、彼の文章にしっかりと表れています。
2.『幸福論』とはどんな本か?
アランは「プロポ(Propos)」と呼ばれる短い随想を、
新聞の片隅に連載していました。
それは今でいえば、新聞のコラムや、
SNSのつぶやきに近いかもしれません。
一つ一つの文章は短く、シンプル。
しかし、そこには人生を見つめる深い視点が宿っています。
『幸福論』は、そんなプロポの中から、
「幸福」をテーマに選んだ約100篇を集めた一冊です。
難しい哲学用語はほとんど登場しません。身近な事例や感情を通して、
幸福の本質が語られています。まるで日常会話のようなやさしい文体でありながら、
読み終えると静かな発見が残る本です。
【Coffee Break】評価されなかった”やさしさ”
アランのプロポは、当時の知識人たちから
あまり高く評価されませんでした。
あまりにわかりやすく、具体的すぎる
──それが「哲学としては浅い」と見なされたのです。
しかし今、私たちは気づいています。
「わかりやすく語る」というのは、決して浅さの証ではないということを。
むしろ、それは読む人の生活に寄り添おうとする、
やさしさのかたちなのかもしれません。
3.幸せになるためには?
私たちが幸せになるためにアランはどうするべきと言ったのでしょうか?
幸福は「自然」には訪れない
決して幸福にはならない。
幸福は偶然に降ってくるものではなく、
意志のはたらきによって生まれるのだ。
幸福は、天気のように偶然やってくるものではありません。
心地よい音楽のように、ふと気づいたら満ちているものでもありません。
むしろ放っておけば、人は自然と不機嫌になり、悲観に傾くもの
だと彼は言います。
だからこそ、幸福になるには”意志”が必要です。
自らのあり方を、ほんの少しだけ「選び直すこと」。
それがアランの言う「幸福になるための努力」なのです。
心よりも、まず行動を
幸福になるための努力とは何なのか?心を前向きにすること?
いいえ、行動だと彼は言います。アランの幸福論には、こんな逆説的な考えがあります。
私たちはよく 「気分がのらないから、今日はなにもしない」と言ってしまいます。
でもアランは、むしろ逆だと言います。
気分が乗らないときこそ、何か行動することが大切と言います。
大きな行動は必要ありません。小さな行動もまた幸福への一歩なのです。
行動は、私たちが選びとることができます。
そしてその行動が、やがて感情を整えていく──
それが、アランの哲学の中核です。
私の好きな言葉にこんなものがあります。「幸せだから笑うのではない。笑うから幸せなのだ」
自分の意志で動くことこそが幸せ
自分の意志で動けたら苦労しねーよ。
と思いますよね。
確かに、私たちは学校や仕事に、日々の時間の多くを割いています。
しかしその時、
幸福と不幸を分けるものは「自分の意志があるかどうか」です。
たとえば、仕事に関してアランはこんなことを言っています。
たとえ失敗があっても自分で考えてやる困難な仕事を選ぶだろう。
たとえ下僕であっても、自分の仕事を自分で采配でき、
ちゃんと身分の保障があるならば、耐えられるのだ。
自分の裁量で判断し、進められるときはやりがいを感じやすいですが、
他人の指示に従い、無力感を抱くときには不満や苛立ちが募ります。
人にやれ!と言われる単純作業より
自分から取り組む困難も失敗もある作業の方が楽しいですよね。
だからこそ、どんな状況でも「自分にできること」に意識を向ける。
丁寧に挨拶する。手を動かす。自分の機嫌を人任せにしない。
それがアランのすすめる、最も現実的で、最も根源的な幸福のつくり方なのです。
4.幸福であることは、私たちの義務である
今回のメインテーマです。なぜ義務があるのでしょうか?
幸福は「義務」なのか?
アランの有名な言葉が、「幸福であることは、私たちの義務である」です。
自分が不機嫌でいることによって他人を悲しませる権利など、
誰にもない。
つまり、自分が不機嫌でいることは、知らず知らずのうちに、
他人を巻き込んでしまいます。
SNSの悪口、カスタマー対応での理不尽な態度、家庭内の空気──
一人の機嫌が他人の精神に与える影響は、思っている以上に大きいものです。
だからこそ、 私たちはできる限り、幸福でいようと努める。
それは、周囲への思いやりの形なのです。
あなたの幸福は望まれるべきだ
自分が幸福になることは傲慢であり、貪欲だと考えるかもしれません。
しかし、私たちのまわりには、家族、友人、恋人、同僚──
私たちの幸福を心から願ってくれている人たちがいます。
あなただって、大切な人の幸福を望むでしょう。
けれど、私たちがいつも沈んだ顔をしていたら、その人たちは、どう感じるでしょうか。
きっと「どうしたんだろう」と心を痛めるはずです。
だから、幸福であることは決して「自分のため」だけではありません。
自分が笑っていることが、あなたを想う人たちを救う。
アランの言葉は、それを静かに教えてくれます。
あなたが幸せでいることは、社会貢献
幸福になる努力は、わがままな自己中心ではなく、誰かの辛い空気を和らげる行為。
そう考えるのがアランの視点です。
つまり、あなたが幸福でいることは、静かだけれど確かな、世界への贈り物なのです。
あなたが幸福であることに、幸福を目指す行動に、金メダルを!!
5.おわりに 〜幸福を目指す気持ちを行動に〜
アランの幸福論にふれてみると、私たちが思い描きがちな「幸福」とは、
ずいぶん違っていることに気づきます。
それは、ラッキーな偶然でも、待っていれば訪れるごほうびでもありません。
アランにとって、幸福とはもっと現実的で、もっと意志的なものでした。
この一言に込められているのは、自分のためではなく、
あなたを大切に想う人たちのために
自分の足で、自分の一日を選び取ることへの静かな覚悟です。
気分が沈む日も、うまくいかない日もある。
けれど、どんな日であっても、
「笑顔でいることを選ぶ」「感謝を口にする」「小さなことに喜ぶ」
──そんな一つ一つの行動こそが、アランのいう”幸福”への一歩なのです。
幸せを目指す行動として、
心理学で幸せになるための記事を読むことから始めてはどうでしょうか?
幸せホルモンセロトニン
心の悩みを解決する
今でいうところの「しつもん!ドラえもん」的な存在です。
アランは毎日、継続してプロポを書いており、
その数なんと約5000篇!