愛とは何か?フロム『愛するということ』で学ぶ本質とは

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愛って何?──
フロムに学ぶ「愛するということ」

 

「どうして、こんなに“愛されたい”って思ってしまうんだろう?」
恋愛でも、友人関係でも、家族との関係でも、
どこかで「もっと愛されたい」
って焦る気持ちがある。

既読がつかないだけで不安になる。

そんな自分が嫌なのに、
それでも“愛されたい”って思ってしまう──


哲学者のフロムは、
それを“間違った愛の探し方”だと切り捨てました。
本当に大切なのは──「愛する力」だったんです。

 

愛したいより愛されたい気持ちが強い私たちにとって、
フロムは数多くのことを著書で教えてくれました。
この記事は、
エーリッヒ・フロムの名著
『愛するということ』をベースにして、

私の体験なども交えながら伝えていきます。

5章まで書き上げましたが、
各章は短いので安心して読んでください。

これを読んだ後、

愛されたいより、
愛したい気持ちが大きくなることでしょう。

目次

第1章:なぜ愛することができなのか?

愛するべき人がいないからだ!」
とあなたは言うかもしれません。

でもその原因は、相手ではなく、
あなたかもしれません

愛は多くの人にとって最も求めるものの一つ。

でも同時に、
最も手に入れにくいものでもあります。
なぜでしょうか?

フロムは言います。

「ほとんどの人は“愛されること”に関心があるが、
“愛すること”を学ぼうとはしない

「どうやったらモテるか」
「どうやったら相手に気に入られるか」──
つまり、
多くの人が注目しているのは“自分がどう見られるか”なんです。

でも、フロムはそれを根本から否定します。
愛するというのは、相手から何かを得ることではなく

「自分がどう与えるか」だと。

誰も愛せないのを、

冒頭でも言ったように
「いい相手がいない」
という理由をよく私たちは言います。

しかし、愛せないのは相手がいないのではなく、

私たちに問題があるという事に気づかなくてはいけません。

なぜなら、愛するということは技術だから、

私たちが自然に元からできるわけではないのです。

その技術を磨かなくてはいけない。

 

第2章:「愛は技術だ。努力なしでは身につかない

「愛は、ただの感情じゃない。
それは、身につける“技術”だ。

フロムは、そう断言します。

ほとんどの人はこう思っているかもしれません。
「愛は自然に生まれるもの」
「いつか“運命の人”に出会えれば、すべてうまくいく」と。

でもフロムの考えは、まったく逆です。

愛は技術である。
技術には訓練と努力が必要だ。

私たちはピアノを弾けるようになるには、
練習が必要だと知っています。
でもなぜか「愛」に関しては、
運や相性まかせでなんとかなると思ってしまう。

愛は、偶然に身を委ねるものではありません。
学ぶものです。育てるものです。

愛を学ぶとは、お金を稼ぐ方法を学ぶ、
生き方を学ぶことよりも

本当は優先されるべきなのに、軽視されている。
覚えておいてください。

ほとんどすべてのものより愛が重要であり、
愛は究極の関心ことになるべきです。

第3章:じゃあ、どうやって練習するの?

フロムは、「愛には4つの基本要素がある」と言います。

  1. 配慮(care)
    相手の幸せを自分のことのように願えるか?
  2. 責任(responsibility)
    相手に対して応える準備ができているか?
  3. 尊敬(respect)
    相手を自分と対等な存在として、尊重できるか?
  4. 知(knowledge)
    相手を知ろうとする努力をしているか?

この4つが揃って初めて、愛は本物になります

そして、この練習は恋人や夫婦だけのものではありません。
親子でも、友人でも、あるいは社会との関係でも応用できます。

「誰かを愛すること」は、「自分を磨くこと」でもあるんです。

あなたが今“愛”だと思っているものは、
この4つの中に、ちゃんと含まれているでしょうか?

段々愛って大変なんだなと思ってきましたか?

でも私たちが幸せになるためには最も必要なことだと
私は思います。

だからこそ私たちは大変でも努力しなければなりません。

ゆっくりでもいいから、
確実に1歩1歩進んでいきましょう。

第4章:本当の愛には「自立」が必要

とはいえ、ここで誤解してほしくないのは、
「愛する=自分を犠牲にすること」ではないという点です。

フロムはむしろ、こう言います。

「自分自身を愛せない人に、他人を愛することはできない」

つまり、「自分を持っていること」
「自立していること」が
愛の前提なんです。

著書では成熟した人と表現されています。

逆に、自分に自信がないと、
愛は「依存」になってしまう。
「この人がいないと生きていけない」
「相手に認めてもらえないと不安」──
それは“愛”ではなく、
“執着”かもしれません。

誰かを愛するという事は、
あなた自身が成熟した人にならなくていけない。

自分を愛するということを、
現代では良いことだと思われていません。

それはひとえに、
ナルシシズムとの混同だと言います。

ナルシシズムは、自分を愛している自己愛とは違います。

誰かに愛されたいと強く願うが、
それが誰も満たしてくれないから、

その願いを満たすために自分を
良く見せようとしているのです。

誰かから愛されたいではなく、
まずは誰かを愛したい。

そのためにはまず、自分を愛することです。

 

第5章:「愛される」から自由になる

私たちは無意識のうちに、「愛されたい」と願っています。
SNSの“いいね”やフォロワー数に、
どこかで安心してしまう。

現代の私たちは、
私たち自身を売り物、
商品とみなしているのではないでしょうか?

フロムによれば、
資本主義社会では人々は自分自身を
「売り物」として見るようになります。
「もっと魅力的になれば、誰かに愛されるはずだ」
という考え方は、

まさに自分を「商品」として捉える市場志向的な発想です。

おしゃれに気を配り、知識を深め、収入を上げる。
そんな風に「愛される自分」になるために、
様々な努力をしています。

そして、私たち自身だけでなく、
他者も商品のように扱っています。

マッチングアプリが良い例です。
スワイプしてどんどん色々な人を探していく。

商品として扱っているとしか言えませんよね。

そして、商品としての価値を上げて、
より多くの愛を求めるのです。

でも、なぜかうまくいかない。
頑張っても、心から満たされる”愛”が手に入らない。

それは、愛が「消費する対象」になってしまったからです。

私たちは愛を「得るもの」「手に入れるもの」と考え、

「与えるもの」「実践するもの」という本質を見失っているのです。

 

「愛とは“受け取ること”ではなく、“与えること”だ」

つまり、本当の愛は「愛されたい」と
思っているうちは到達できない。
自分から愛を与える力を持ったとき、
初めてそれは本物になります。


愛するということ
愛するということ

結論:「愛」は、生き方そのもの

「愛するということ」は、感情の問題ではなく、
生き方の問題です。

・誰かを大切にするということ
・自分自身を持ちながら、他人とつながること
・もらうのではなく、与えること

これは一朝一夕でできることではありません。

愛するとは技術である。

愛せる人になること──それは、人生最大の挑戦だ。
けれど、その先には、誰もが願ってやまない本当の幸せが待っている。

 

おまけ:TikTokで聞いた面白い答え

私のTikTokで愛についての質問をしました。
この人じゃなきゃダメって感情
本当に愛?それとも依存?

  1. 安西
    相手に何かしてあげたいと思ったら【愛】して
    あげたことに見返りを求めたら【依存】
    →与えることこそが愛というのをしっかり理解しているようです。
  2. 👁👄👁
    この人がいいが愛でこの人じゃなきゃダメが依存な気がする

    →日本語の微妙な違いですが、お気に入りの答えです。
  3. やきいも
    愛があるから依存するんじゃないかな?
    →愛は求めるものだとしたら、依存なのかもしれない。
    愛は求めるのではなく、与えること。これが著書で言われていることである。
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